三国志 登場人物名鑑

三国志に出てくる登場人物を紹介していくつもりです。

三国志とは


約400年続いた漢朝の末期から、魏・蜀・呉の三国が中国大陸を三分し、晋が統一するまでの約100年間。それが「三国志」 の時代です。

正史としては、晋の時代に陳寿(ちんじゅ)が著し、その後、南宋の時代に斐松之(はいしょうし)が注釈を加えた「三国志」がありますが 、
日本でよく知られているのは吉川「三国志」(小説)、横山「三国志」(漫画)、人形劇の「三国志」等、多くは元の時代に羅貫中(らかんちゅう)が
講談本として書いた「三国志演戯」がもとになっています。

主な勢力


魏(220年〜265年)
首都は洛陽。45年間しか続かなかった王朝。
曹操の子の曹丕が魏の皇帝になる。
三国で一番の大国。

呉(222年〜280年)
孫権が長江流域に建てた王朝。姓は孫(そん)氏で、首都は建業(現在の南京付近)。孫呉、東呉とも呼ばれる。

蜀(221年〜263年)
劉備が巴蜀の地(益州)に建てた国。
巴蜀(現在の四川省・湖北省一帯)を領土とし、成都を都に定めた。
実際には魏の文帝曹丕が後漢を滅ぼして即位した時に、漢の正統を継ぐものとしたため漢が正式な国号である。
蜀或いは蜀漢という呼称は後世の人々が統一王朝であった漢との区別のため便宜上つけたものである。

三国時代の終焉


蜀は姜維(きょうい)の奮闘虚しく第二代劉禅(りゅうぜん)が魏に降り滅亡(263年)。
魏は曹叡の死後、司馬一族に実権を奪われ、司馬炎(しばえん)が禅譲を受け (265年)消滅。晋になりました。
呉は最後まで残ったものの、晋によって滅ぼされ(280年)、三国時代は幕を閉じたのでした。

三国志の名言


孔明の名言
死せる孔明、生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす  『蜀書』 諸葛亮伝
秀でた人物は死後も生きているものを恐れさせるということ。孔明は諸葛亮の字(あざな)。仲達は司馬懿(しばい)の字。
五丈原(ごじょうげん)で魏の将軍、司馬懿との対戦中に病没した諸葛亮は、自分が死んだら、それを敵に知られぬよう撤退せよとあらかじめ指示していた。
諸葛亮が送った使者に逆に諸葛亮の生活ぶりを聞き、死期が近いことを悟った司馬懿は退却した蜀の軍に諸葛亮の死を察し、
追撃したが、蜀軍が旗を返し、鼓をならして反撃の姿勢を見せたので、諸葛亮がまだ生きていると思い、計略にかかることを恐れて追撃をやめた。
その隙に蜀軍は渓谷に入り、そこで孔明の喪が発表された。
人々は死せる孔明、生ける仲達を走らすと噂しあい、ある者がこれを伝えると、司馬懿は苦笑して言った。
「吾はすなわち生きるを料(はか)りて、死するを料らざる故なり(生きている人間なら、わしもなんとかできるが、死んだ相手ではどうしようもない)」


曹操の名言
大きな仕事を手軽にやってのけるのが、
大事を成す秘訣。


戦にも負けてみるがいい。
敗れて初めて覚り得るものがある。


天下の人に背くとも、
天下の人を背かせはしない。


天下の知恵を集めて、天下の道理に従って、
どうして、天下に出来ないことがあろうか。



孫の名言
・「魏帝が求めているものは、われわれには瓦石(がらくた)にすぎぬ」(正史より)


・「足下が死なれない限り、私は安心することができません」(正史)


・「リーダーは決断したら、部下に何と言われようと厳格に実行に移せ」


◇◇管理人的見解◇◇
愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ。
この現代にも過去の歴史の偉人たちの残した戒めの言葉や格言が十分通用しますね。
基本的な考え方はどれだけ時間が流れてもそんなには変わらないのかもしれませぬ。

copyright (c) http://www.ah-cs.com/ All right reserved.


PR
新宿シンデレラ| 風俗ABC動画| 錦糸町人妻ヒットパレード| 高収入アルバイトのアルチェキ| 五反田モンデミーテ